“本当の自分”はキラキラしてるはず!という大いなる勘違い。
Aloha、ライラミサです。
前回のブログと同様に、
大ヒット映画「ボヘミアン・ラプソディー」×新ボトル「女王マブ」
についてお届けしていきますよ^^
(映画のネタバレあり)
(兄よ。。「よ!アンジェラアキ!」とか茶化してるから写真に指入っちゃうんだよ!)
さてさて、前回のブログでは映画の終盤に出てくる
「自分が誰であるかは、自分で決める。
俺はフレディ・マーキュリーだ。」
という台詞の中に、女王マブの本質を見ました。
今日はもう一つ、同じく映画の終盤に出てくる家族との
再会シーンから女王マブのメッセージを読み解いていきますよ。
(女王MabのMは、クイーン・マーキュリーのMだっ☆)
ミュージシャンとしての大成を志して出て行ったきり、
家族とは絶縁状態だったフレディ。
イラン系インド人の移民であったフレディの家族は、
世間から「パキ」と差別的扱いを受けていましたし、
非常に強い宗教的な信条がある家族の中では
不真面目な不良息子として歓迎されない。
ましてや同性愛者であることは、
大きな恥として扱われる時代です。
自分の民族を否定する社会。
自分らしさを否定する血筋。
そこから逃れたいと思うのも当然です。
ですがライブエイドの朝、フレディは一大決心をし、
恋人である男性を連れ家族の元を訪れます。
そこで異性愛者としての自分を表現し、
アフリカ難民救済のチャリティイベントである
ライブエイドに向かうことを告げ、父親にこう言います。
「善き思い、善き言葉、善き行い。
父さん、あなたが教えてくれたことさ。」
ずっと立ち去りたかった、自分の生まれてきた場所。
民族、国家、歴史、家族、、、
自分の背後にあり、はっきりは見えない、
だけど確実に自分の根本を司る、自分のバックグラウンド。
そこから与えられたものを、フレディはここで受け取り、
そして父親と強く抱きしめ合います。
自分自身を形創る歴史との和解の瞬間。
ここがクイーン(女王マブ)が教えてくれる、
もう一つの重要なメッセージです。
ボトル下層のマゼンダは、「魂の脚本」を表します。
ここで引っかかりがちなのは、
「魂の脚本を見つけさえすれば、キラキラした人生が待っているのに!」
「私の魂の道は、今の現実とは違う!早くその道を生きたい!」
という考えですが、
これ、大いなる勘違いです。(自戒を込めて。w)
私たちがどの時代、どんな家族の元に、どんな国に生まれるか。
それもまたすべて、自分の脚本に書かれているのです。
フレディにとって、インド系の移民として差別され、
同性愛者であることは本当に辛かったはずです。
心の拠り所を見つけることなく、夜一人でいるのに耐えられない。
ドラッグや酒に溺れ、心ないパーティーを繰り返す。
そんな人生に、何度嫌気がさしたことでしょう。
言うなれば、その苦しみの原因とも言える、家族の元へ、
自分自身を創る血と歴史の元へ還るこのシーンは、
痛みも苦しみも含めた自分の運命を受け入れる瞬間でもあるのです。
魂の脚本、運命を生きる、
本物の自分を生きるって、
実はそういうことだったりするんです。
スカッといろいろ解消されるわけではない。
別に楽な人生になるわけでもない。
喜怒哀楽、清濁混合の人生を、
まるっとそのまま引き受ける。
ダサくても、好きじゃなくても、
そのまんまの自分を引き受けることなんです。
そこには、「魂の道は明るいに違いない!」という盲目さはなく、
むしろ客観的に、冷静に、そのまんまの自分の運命を、
そのまんま認める(見留める)眼(eye,愛)があるのです。
0コメント